小川さやか - GOOD CYCLE PROJECT - 淺沼組
GOOD CYCLE TALK <span class=#02" width="2880" height="1427" />

探究しよう、
建設の未来。

GOOD CYCLE TALK

淺沼組の若手社員が、様々な分野のGOOD CYCLEの実践者に体当たり取材。循環をテーマにリサーチし、若手社員が感じた疑問や質問、率直な意見をぶつけながら、これからの建設について探求する連載です。

「その日暮らし」の経済倫理が、
私たちにもたらすヒント。

GOOD CYCLE TALK #02

小川さやか(文化人類学者/​立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)

淺沼組の若手社員たちがさまざまな分野の専門家に会いに行き、対話を通して未来の「良い循環」のあり方を考えていく「GOOD CYCLE TALK」。


 


第2回目の今回は、タンザニアや香港の路上商人によるインフォーマルエコノミーや地下経済の研究を続け、『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社、2019)、『都市を生きぬくための狡知──タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社、2011)などの著作でも知られる文化人類学者の小川さやかさんにお話を伺いました。


 


膨大なフィールドワークを経てきた小川さんを通して知る路上商人たちの姿と、彼らの実践する「その日暮らし」の経済活動は、いずれも私たちの固定観念に揺さぶりをかけてくるものばかり。


 


まったく異なる摂理を持ったそんな土地でも、私たちの考える「良い循環」は「良い循環」たりえるのでしょうか。複雑な構造を持ちながらも変化を続けるインフォーマルエコノミーの視点を出発点に、自分たちのプロジェクトを捉え直す数多くのヒントをもらってきました。


第三世界から見るリサイクル──古着商人の研究から

──さまざまな分野で活躍されている方に「良い循環(GOOD CYCLE)」についてインタビューしていくシリーズ、2回目の今回は小川さんがご自身の研究の視点から考える「良い循環」について伺っていきたいと思います。


淺沼組:

よろしくお願いします。


小川:

よろしくお願いします。私が普段メインに研究しているのは、タンザニアと香港のインフォーマルエコノミーです。もともと、大学院生のときに古着商人の商慣行の研究をしていたんですが、国際的な古着流通もすごく「循環」と言えるんですよね。使い捨てや大量生産・大量廃棄といった文化が、廃棄された後の世界における古着の流通と構造的に支え合っているという。


小川さやかさん


──つまり、どういうことでしょうか。


小川:

例えば、私が調査をしているタンザニアをはじめとしたアフリカ諸国では、植民地期に宗主国によってプランテーションが作られ、綿花栽培が始まりました。アフリカやインドの人たちが生産した綿がヨーロッパに輸出され、その結果、繊維・衣類産業が興り、産業革命が起こって、大量生産・大量廃棄の文化が生まれます。そうして廃棄された古着がアフリカ諸国に還流し、それが植民地経営──キリスト教の布教や近代化──の道具になったわけです。タンザニアでは古着が欲しくて教会に行ったり、古着を得るためにもプランテーション労働をしていたんですね。


加藤:

まさか古着が布教にもひと役買っていたとは。


淺沼組 技術研究所 建築材料研究グループ 加藤猛さん


小川:

1961年に植民地期が終わって独立した後、タンザニア政府は「自国の綿を使って自国でも繊維・衣類産業を興し、経済発展させたい」と考えました。でも、国営・準国営工場を急に設立しても経営スキルがなければうまく経営できないし、運悪くオイルショックやウガンダの侵攻などが重なり、それらの工場は機能不全になっていきます。タンザニア政府は社会主義をやめて1980年代に貿易自由化に踏み切ると、それまで輸入を規制していた古着が、先進諸国からまた大量に流入してくるようになります。


 


古着が入ってくると、国内の繊維産業は壊滅的な状態になります。なぜなら、原価タダの古着に勝てる高品質な衣類を、インフラなどが不十分な後発国が作るというのは非常に困難だからです。結局、タンザニアは一次産品である綿を輸出し、先進諸国が排出した古着を消費する国に留まるという、負のスパイラルが完成するわけです。


ズオン:

なかなか経済的な転換ができないんですね。


淺沼組 技術研究所 建築構造研究グループ ズオン・ゴック・フエンさん


小川:

はい、それがポスト植民地期の問題でもあります。それでもタンザニアの経済も徐々に発展していきます。2000年代に入ると、アフリカ諸国の政府は自国の繊維産業を育てるために、古着の輸出や輸入の規制を次々に始めます。同時に東アフリカ共同体や関税同盟などを隣国と形成し、域外からの古着輸入を規制し、域内で生産された衣類を域内で消費するという仕組みを構築しようとしました。ところが、中国や東南アジアの急速な経済成長に伴い、コピー商品を含めた中国製の廉価な衣料品が押し寄せてくるようになる。結果として、現地産業が十分に育成されず、アフリカ市場では「古着 VS コピー」のような消費文化が広まる。このようにグローバリゼーションのなかで、古着の使い捨て文化もコピー文化も成り立っているんですね。


 


「反グローバル化」や「反資本主義」のような話題になると、経済と環境、経済と福祉、これらのどちらかを優先すればどちらかが疎かになるという議論がよくされますが、この“リユースやリサイクルの世界”を第三世界まで含めると、「環境をより良くしよう」という話と「グローバルな経済構造をこのまま維持しよう」という話がすごくスムーズに結びつき、南北問題(先進国と発展途上国間の経済格差にまつわる問題)を再生産してしまう。こういったグローバルな構造がまさにリユースやリサイクルの思想によって生まれていることには、いくぶん矛盾した問題があるなと思います。


──先進諸国が良かれと思って始めたであろう環境活動が、もっと大きな視点から見ると、まったく違った意味合いで見えてくるということですね。


小川:

そうですね。ヨーロッパや欧米などの先進諸国における古着回収のロジックって「環境破壊を防ぐこと」や「発展途上国をはじめとする困難者の支援」なわけですよね。そういった看板を掲げることで、古着のリサイクルと寄付が促進されます。


 


アンティークだったり、サッカー選手や野球選手が着たユニフォームを購入する場合の古着の価値づけと、アフリカに輸出される古着の価値づけは異なります。後者の古着って、福袋みたいな形で送られてくるんですよね。ヨーロッパの人たちからすると「アフリカの人たちは困ってるんだから、何でも喜ぶだろう」という発想のもとで、「シャツ」「ズボン」といった種類分けされた梱(こり)がボンと輸出される。現地の人の好みや習慣、ファッションといったものが考慮されていたら、そういう輸出システムにはならないと思うんですよね。「寄付」や「リサイクル」という思想から始まるから、アフリカには、さまざまな種類の衣類がごちゃっと梱包された塊が輸出されるのです。


 


そのなかにはアフリカの人がいらないものもたくさんあります。「◯◯高校」などと書いてある体操着──その感じがたまたまお洒落なジャージだったらいいけど、こんなのどこに着て行けるんだみたいな感じの──とか。そういうものをすぐにゴミにせず、何とか全部売り切るために、彼らは国境を越えて違う国の人々に売りに行くし、ワッペンを付けたりとブリコラージュしたりすることによっておしゃれに加工して、最後まで消費していく。こういう末端のリユース・リサイクルの世界って、すごく見えにくいものだと思うんですよね。


──確かに、アパレル量販店の店頭などにも古着の回収ボックスが置かれているのを見かけますが、回収された服のその先を想像することってあまりなかったかもしれません。


小川:

ただし、リユースやリサイクル品は必ずしも悪い影響を与えるだけではありません。多くの国の経済発展は、模倣から始まりました。いまや高品質で知られる日本製品だって戦後に経済成長を遂げていく最初の段階では、粗悪であるとかパクリであると言われていました。その意味で中古品は、発展途上国の人びとに新しい創造を促していく刺激も与えます。また、アフリカ諸国において安価な中古やコピーの携帯電話やコンピュータはいまや必需品です。グローバルな情報にアクセスできなければ、ますます遅れを取ってしまいます。だから、リユースやリサイクル品はすべてがwin-winな関係をもたらすというわけでもないけれど、輸出をやめたらいいという単純なものでもないのです。


 


しばしば「アフリカの人たちはSDGsや環境問題にまだあまり目覚めていない」という先入観を耳にしますが、産業革命の時代からずっと廃棄された商品を流通し、使い捨てのような消費サイクルを支えてきたのはグローバルサウス(南半球の発展途上国)なわけであって。もちろんSDGsなどを通して環境について考えることはすごく大事なんだけど、連綿と続いてきたこうした営みの存在にも、もっと目配りしていいんじゃないかと個人的には思ったりします。


シェアによって空間をどう変えるか

──昨年、小川さんは住宅総合研究所(住総研)で開催されていた連続シンポジウム「シェアが描く住まいの未来」に、パネリストとして参加されていましたね。


小川:

はい。これは広義の「空間」をどういうふうに新しい発想で利用していくのか考えていくプロジェクトです。関わっているメンバーにはもちろん建築の専門家の方が多いんですが、「どう空間をシェアするか」だけではなく、「シェアを通じてどう空間を変えていくか」といった話も同時にしていました。それは環境問題ともまったく遠い話ではないんですよね。


 


日本でもよく、人口が減少するなかで都市部に空き地や空き家が増えていることが問題になっています。千葉県柏市の「カシニワ制度」★1などのように、持続的な環境を作るための広義のシェアリングエコノミーというものが、無駄を減らして、環境に優しい持続的循環型経済を創出する仕掛けとして、ときどき注目されますよね。


★1 千葉県柏市で2010年にスタートした、空き地を地域資源として活用するための制度。宅地化されずに残っている土地や荒れた樹林地、使わなくなった畑などを所有者が貸し出し、「市民と行政とで協力して空き地に手を加え、住民みんなが自由に使える『おにわ』にすることによって、柏市の住環境をより良くする」ことを目指す。


https://www.city.kashiwa.lg.jp/kashiniwa/index.html


そういったスペースの有効活用は、タンザニアではもっと必要に迫られてというか、当たり前のこととして展開されています。私がタンザニアでずっと暮らしていた長屋も、今風に言えばシェアハウスですし(笑)、一方で、1人で店を構えられないタンザニアの路上商人は、商店物件の賃貸料を複数人で割って「この右側の壁は私のスペース、あなたはここ、あなたはここ」といった感じでひとつの商店をシェアしていたりします。今風に言えば、シェアオフィスです。路上には雑多な人たちが情報交換をし、違う職種との連携を模索し、新しいビジネスを一緒に始める場所が自然とあるわけです。コ・ワーキングスペースですね。


加藤:

タンザニアの人にとって、シェアをすることはとっくに日常なんですね。


小川:

そうなんです。でも彼らはシェアをしているとは言わないのです。日本では、「何か環境に優しいことをしよう」とか「みんなでシェアをすることでコミュニティを作ろう」とかといったことが目的になっています。でも、彼ら路上商人にとっては、コミュニティが希薄化したり、シェアが失われた時代なんか過去に一度もなかったわけで。むしろ彼らにとっては、環境に優しいといった話以前にシェアをしなければ、生きぬいていけないという死活問題なのです。シェアが善いことだからやっているわけではなく、そうしないと単純に住環境が荒れたり、生活が回らなかったりして仕方なくやっているものなんですよ。


 


そのような彼らの問題は、コミュニティやシェアをする人々とのつながりがむしろ多すぎて面倒臭いということ(笑)。毎日「あれ貸せ、これ貸せ、何とか融通しろ」みたいなやりとりがあるなかで、それをいかになかったかのようにして、気にしないようにやっていくか。あるいはシェアを迫られ、自身に共有したり分け与えるものがないときに、いかにスルーしても大丈夫にするかということ。シェアに溢れているタンザニアの社会では、いかに気楽に適当にやってもスムーズにシェアが可能になる仕組みを作っていくかに、心を砕いているのです。


ズオン:

面白いですね。


商売も人間関係も分散型

加藤:

タンザニアではお金がなくても経済が回り、国家や政治があまり機能していなくても社会が形成されるといったことが興味深いなと思っていて。それはシェアの文化がうまく機能しているということでもあると思うんですが、仮に経済力があったとしたならば、タンザニアの経済はどのような感じになるんでしょうか。


小川:

興味深い質問ですが、難しいですね。シェア文化の浸透度って、個人的には所得の少なさではなく、状況の変動の激しさに相関しているんじゃないかと思っていて。


 


『「その日暮らし」の人類学』(光文社、2016)にも書きましたが、私が面白いなと常々思っているのは、タンザニアの人のほとんどは貯金をしないことなんですよね。日本円にすると1日300円くらいしか儲けていない人から、月収600万円みたいな大商人まで、彼らは貯金をしない。ところが、道路敷設工事現場の労働キャンプのような、他の商売ができない環境で雇われて「私が得られるお金は給料以外に1円もない」という状況になった瞬間に、給料が少なかろうが多かろうが関係なく、貯金をし始めるんですよね。それはどうしてなんだろうと。


 


やっぱり彼らの商売って、今日は良くて明日はダメでというふうに、収入の変動がすごく激しいので「毎日いくら貯める」といった設定をするのが難しいのです。彼らには「収入源をたくさん確保すると安定する」という発想が根強くある。そもそも口座も持っていない大商人だっていっぱいいます。代わりに、儲かったときには何か別の事業に投資をするんです。私たちからすると貯金ゼロの人生なんて不安定だと思うけど、実際には私なんかよりも安定しているのではないかと思います(笑)。だって、土地もあれば、人に貸しているものも、ビジネスの収入源も複数あって、何か一つぐらい潰れたって、他のものが生き残っていたら、とりあえず食べてはいける。一つのビジネスが最近うまくいかないなと思ったらやめて、「あれは儲かりそうだからやってみるか」みたいな挑戦もできるので、「古着はもうダメだから、次はコピー商品にしよう。コピー商品もダメになったらブランド携帯でも売るか」といったかたちで、どんどん商売も鞍替えしていく。


──すごく自由というか、「こうしなければ」みたいなものがまったくない。


小川:

そうですね。そして同じ発想は人間関係にもあるんですよね。彼らは商人であり、固定的な人間関係をきちっと維持するために空気を読んだり、けんかしないように気を使うよりも、さまざまな人にいろんな投資をするんです。そしてその投資した先の人間のタイプが違えば違うほど、安定性は増すんですよね。大企業の社長さんから詐欺師、ポン引き、セックスワーカー、囚人──全種類の人間とお付き合いしていれば、将来ビジネスの変転が起こって、自分がどんな状況に置かれたって、誰かしらはそのときに手を差し伸べることができる仲間として生き残っているわけで。しかも彼らが自分に借りがあれば、何か困ったときに「そうだ、あいつ最近羽振りがいいと聞いたな。よし、電話しよう」みたいな感じで頼ることができる。結果的に(知識や技術、財産などの)シェアが成り立っているという感じですよね。


 


私はタンザニアにスリ稼業をしている友人が何人かいるのですが、ある日スリに遭って「携帯を盗られた、人相はこうだった」と彼らに言うと、「あいつかな」と言って「あの姉ちゃんは、俺らの友人だから返してやれ」と取り戻しに行ってくれるし、スリの手口もよく知っているので、警察よりも全然頼りになる(笑)。そういうふうに、自分自身の能力は増えていかないけど、自分の能力が自分の外側にどんどん増えていく感覚なんですよね。


加藤:

それはすごい。


小川:

それから、インフォーマルエコノミーの「インフォーマル」は「非公式」という意味であって、必ずしも「イリーガル」じゃないんですよね。税金を払っていないとか、道路交通法を無視しているとか、そういう意味ではアフリカの人たちはイリーガルですよ。でも彼らだって、麻薬売買とか、完璧な模造品を本物と偽って暴利を貪っているとか、そういうのは非合法で悪だし、路上で物を売ったり、何か面白い製品を造ることとそれらは違うものだと思っている。


 


コピー商品だって、彼らからするとかなりグレーな領域が大きくて。零細商人たちは、完璧な模造品を組織的に製造して高値で販売している者たちは「道義的にも悪い」とみなしており、それに対して「これはこの画像を真似したやつなんだ。本物じゃないから安くしておくよ」と、ある意味では正直に売っているのは、「ブリコラージュ」であって詐欺ではないと考えている。本物を購入する経済力がない消費者からすると、手の届く価格で偽物を売ってくれる商人は、仲間でもある。非公式な世界のなかにも一応、道義的に許容できるか否かみたいな、文化的な範囲があるんですよ。


「積み重ねない」ことで発生するイノベーション

ズオン:

商売も人間関係も、どんどん変えていくことにタンザニアの人たちは躊躇がないというお話、面白いです。考え方が非常に柔軟というか。


小川:

そうですね。私がいつもすごく思うのは、その日暮らしの投資型の世界で生きている人たちって、撤退したり、やめる決断が早いことです。『プロトタイプシティ』(高須正和・高口康太編著、KADOKAWA、2020)のなかに出てくるのですが、日本のように積み重ね型のステップバイステップで未来を作っていく人たちは、連続的な価値創造を高く評価しています。だから、新しいことを始めるよりも、始めてしまったことをやめたり捨てたりしにくいんじゃないかとも思うんですよね。確かに過去からの積み重ねによって築いた優位性の上に挑戦していくスタイルが、日本の製造業のクオリティと強さを保持してきたんだと思うんです。プロジェクトチームを組んで、「バッテリーの耐久性をあと5年分上げる」という特定の目標に向かって一丸となって頑張る、といったような。


 


でも、例えば中国の深センで展開されている世界は、そういうものではまったくないそうです。中国の製造業者らはそもそも多産多死型で、とりあえず何でも試しに作ってみる。十分な検査を経ていないプロトタイプを、とりあえず市場に流す。そうすると、それが偶然、他の人のプロトタイプとパズルがハマるようにカチカチッと組み合わさって、「一体どこからこんなものが!」という新しいイノベーションが生まれていく。そういうエコシステムなんです。


──日本はそのあたり、フットワークが重くなってしまいがちな気がします。組織の構造的にも。


小川:

でも私は、連続的な価値創造の世界がダメだなんてまったく思わないんですよ。だって、それが優位にはたらく分野は絶対にあるし、バッテリーの耐久性を上げるように、今よりも一歩一歩より良く改善していくスタイルの企業戦略というのは、いまだに生き残っています。でも他方で、あまりにもこの連続的価値創造に固執していると、状況が変転したり、「何か環境に良いことをしたい」「何か新しいプロダクトを作りたい」という新規な挑戦に踏み出すときに、自らハードルを上げてしまうと思うんですよね。環境の問題にも、別にみんな関心がないわけじゃない。でも「本当にこれは環境に良いんですか?」みたいなことをみんなで話し合わなきゃいけなかったり、成功するかどうかわからないことはやっちゃいけないと、きっとどこかで思っているんですよね。そういったところを改善していくのは、例えばこのプロジェクトにおいてもすごく良く働くんじゃないかなと思います。


ハイパーカオスな空間の面白さ

ズオン:

うちの会社は今、築30年の名古屋支店をちょうどリニューアルしているところです。世の中のほとんどの建設会社は、建物を新しく建てることにフォーカスしていますが、淺沼組は古い既存の建物の改修・リニューアルに力を入れている。それは実は決して経済的とは言えない選択ですが、そういった考え方についてどう思いますか。


小川:

すごく良いことだと思いますよ。人口がこれだけ減少していっているので、既存の建物は今後どんどん余っていきますよね。みんな家やオフィスは建てたい。でも、古くなった家の古さを活かして、新しい形にリノベーションをしていくというのは、ある種の持続的な環境のためのモノの利用なんじゃないかなと思います。


加藤:

ヨーロッパでは、歴史の古い建物の価値はどんどん増していきますが、日本では古さによって建物の価値が上がることってそんなにない。改修・リニューアル事業にうちは今後も引き続き取り組んでいくわけですが、入口は「付加価値をつける」という口当たりの良さそうな言葉であっても、まずはやってみるということが必要なんですかね。


小川:

そうですね。おっしゃる通り、実はリニューアルやリノベーションの方が大変だと思うんです。リサイクルの研究をしていても、リサイクルの方がよっぽどお金もかかるし、新しいものを作った方が手っ取り早いと感じる。ただ、リサイクルが環境に対して具体的にどれぐらいの良い影響を与えているかはわからなくても、例えばみんながエコバッグを使うことで、環境について日常的に考えることを促進する装置になりますよね。


ズオン:

それは、今回のプロジェクトにも当てはまるところがあるのかもしれません。建物自体が「良い循環」について考えるメディアになるというか。


加藤:

名古屋支店は自社の建物だから、技術的にも使い方的にも、そこではいろいろなトライアルができると思うんですね。小川さんがフィールドワークの場にされていた香港にあるチョンキンマンション(重慶大厦)★2みたいに、交流とコミュニケーションが活発にされているような場を作っていこうと思ったら、例えばどんな方法があるんでしょうか。


チョンキンマンション(重慶大厦)のエントランス[写真提供:小川さやか]


_


★2 香港の九龍にある、17階建ての巨大複合ビル。1960年代に開発され、低層階にはショッピングモールやレストラン、上層階にはいくつもの格安ゲストハウスや個人住宅がひしめく。インフォーマルエコノミーの要衝としても世界的に知られており、インドやアフリカ、アジア諸国など、100か国以上の商人や観光客が行き交う。


小川:

今まで建築業界の人たちから聞いて面白いなと思ったことの一つが、自分たちで自由に使える、自分たちの工夫でどうにでもなる余地のある場所をあえて残すという発想です。チョンキンマンションも何がいいのかというと、居住者のみんなが自由人で好き勝手に使うこともあるんですが、住機能として完璧じゃないゆえに、やっぱりいろいろ工夫しないとやっていけない──つまり、みんなの工夫みたいなものが自生的に生まれていくところだと思うんですよね。


チョンキンマンションで借りていた自分の部屋だって、落っこちそうなすごく幅の狭いシングルベッドが置いてあって、その下に荷物を全部入れて、あとはカニ歩きしないと動けないような極小スペースです。そこに例えば1年間暮らすとなると、コリドーや中庭といったスペースを改造したりしないと快適に過ごせない。そうするためには、居住者の誰かと話をしたり、共同のスペースをみんなとシェアしないといけないんですね。結果として、部屋の中にいるよりも、ちょっと外の廊下に出て駄弁ったりするのが楽しいプレイスになっている。一応はホテルなんだけど、ほとんどシェアハウスと化しているんですね。


チョンキンマンション(重慶大厦)の内部[写真提供:小川さやか]


ズオン:

不便でも、ちょっとワクワクする空間ですね。


小川:

はい。あとは、やっぱり“ごちゃ混ぜ”みたいなものだと思います。いかに多様性のある人間を取り込むか。金沢には佛子園という場所があるんですが、そこにはお寺があって、託児施設があってレストランもある。そこでは就労施設の障害者の人々が働いているし、隣には温泉やフィットネスセンターも併設されているので、おばさんや若者たちが通ってくる──そういうスペースをお寺として運営しているんですね。もはや何だかよくわからないゆえに、地域の人がみんな通ってくるんですよ。


 


私が長く調査している路上世界のように多様な人々が混在しているカオスな環境では、「もはや主要な評価基準が何なのかわからない」といった状態になった結果、他人の発言や行動がいちいち気にならなくなって、普段は関係のない人や分野に興味のベクトルが飛び、交通が生まれるようになっていくというか。市民社会的かつ民主主義的で、クリーンな世界でだって活発な討論はされると思いますが、インフォーマルでカオスな路上空間みたいなものだって、それはそれでやっぱりすごく楽しくて、活気のある空間になると思うんですよね。


加藤:

名古屋支店の今後の活用の上でも、ヒントが目白押しでした。


今日はありがとうございました。


小川さやか(おがわ・さやか)
文化人類学者/​立命館大学大学院先端総合学術研究科教授

1978年、愛知県生まれ。立命館大学大学院 先端総合学術研究科教授。専門は文化人類学、アフリカ研究。主な著作に『都市を生きぬくための狡知──タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社、2011)、『「その日暮らし」の人類学』(光文社、2016)など。『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社、2019)で第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

取材を終えて

加藤さん

タンザニアの路上商人の「面白そうだから実践し、うまくいけば続けるし、うまくいかなければやめる」といったその日暮らし型の考え方は、日本では一見受け入れられにくいものなのかもしれません。しかし、これまでの保守的な積み重ね型の評価軸だけでは、新しいことを始めるハードルは依然高いままのはず。環境配慮におけるサステナブルを浸透させるためには、フットワーク軽く、ひとまず行動を起こしてみることが何より重要だと感じたインタビューでした。

ズオンさん

日本とまったく異なるタンザニアの経済と文化のお話はとても面白く、特にシェアリングの文化は非常に興味深いものでした。「良い循環」は、個人や企業だけでなく、社会全体が手をつないで作っていく必要があるのだと改めて感じます。淺沼組で取り組んでいる工事現場の残土を用いた改修工事の資材作りも、シェアリングエコノミーの一つの形態と見なすことができるのかもしれません。将来、すべての建設会社が廃材をシェアするような取り組みができたら、材料を最大限に活用でき、建設コストの削減も可能になるのではないか。そんなことを考えました。

撮影:津久井珠美